ミュージシャンになったきっかけは? なぜタイトーに就職しましたか?
A:作曲家のKyohei Tsutsumiに憧れて、自分も彼のように音楽に於いて実験的な挑戦が出来る 作曲家になりたいと思ったからです。ポップな音楽も作りたいと思っていました。
タイトーへ入社したきっかけは新聞の求人広告です。namcoかタイトーかどちらか先に新聞の求人広告に載せた方へ応募しようと思っていました。結果はタイトーが先だったというわけです。
タイトーに入ったとき、ゲームミュージックシーンの状況はどうでしたか?
A:あまり良い環境だったとは言えませんでした。あくまでも音楽家としてみた場合ですが。
当時タイトーに備わっていたキーボードはファミリー向けのものでしたし、音楽データを入力するソフト面での環境も16進数を使って入力していくという極めて特殊なものでした。(改善はされていきました) ゲームの音楽はnamcoのものがとても人気があり、社内でも多くのファンがいた状況でした。
80年代半ばは多くのゲームミュージシャンが知られるようになった時代ですね。当時、他のゲームミュージシャンと話をしましたか? また、当時ゲームの音楽を作ることにはどのような難問がありましたか?
A:他社のコンポーザーと話しをする機会はほとんどありませんでした。ゲームを制作する環境も方針も異なるので積極的に話したいという欲求も私にはありませんでした。
タイトーのバンドとしてZUNTATAを作ったきっかけやインスピレーションは何でしょうか?
A:ZUNTATA誕生には当時のゲーム音楽を扱うレコード会社のプロデューサーの意見が大きく反映されています。彼は「バンドのような形態の方が夢があるんじゃないですか?」と私に言ったのです。他者のサウンドチームも同じようにバンド形態をとっていました。
私は確かにダライアスのアルバムでZUNTATAという名前でクレジットしました。しかしそれは一過性のユニット(DARIUSのレコードのためだけの)程度にしか考えていなかったのです。あんなに人気が出るとは予想していませんでしたから。
タイトーで最初に小倉さんが作曲を担当したゲームを少し紹介して頂けませんか?
A:全てを作曲した初期のゲームはOUTER ZONEというメイズものゲームです。明らかにテクノを意識したものでした。また、インサートコインを効果音ではなくジングルにする試みもしました。
ダライアスは小倉さんの初めてのヒット作品だと思います。以前のゲーム音楽と全く違うサウンドで、面白いメロディと独特な楽器を使って不思議と覚えやすいサントラを作られましたね。ダライアスのサントラの目的や、伝えたかったことなどを説明して頂けませんか?
A:ダライアスの一番のテーマは「宇宙に潜む巨大な存在」というものでした。あの頃はまだ明確なコンセプトと言える程のものを作ることはありませんでした。いわゆるイメージ的な音楽づけというものです。CHAOSというメインテーマがあることでサントラ全体のメリハリやバランスが取れた のではないかと考えています。あの頃のゲームに変拍子の前衛的な音楽を使うのはかなりの冒険だったと思います。しかし私は「数年後にはこんなことは当たり前の時代が来るだろう」と後輩に話
したのを覚えています。とにかく何かを壊したかったのです。「ゲーム音楽の常識」のようなものを一掃してダライアスをきっかけに「再構築」したかったのかも知れません。
ニンジャウォーリアーズの名曲Daddy Mulkは(私が思い出せる限り)初めてサンプリングを使ったゲーム音楽です。この曲のインスピレーションは何でしょうか? なぜ三味線のソロ演奏を取り入れましたか?
A:サンプリングはダライアスのCHAOSやその他の曲でも使用していますよ。ただ、8kサンプリングだったので音質が悪かったのは事実です。
ニンジャウォーリアーズで津軽三味線という楽器を使うことになったのはちょうどタイミングが合ったからです。私はずっと以前から津軽三味線の音に強烈な魅力を感じていました。そしていつかゲームで使いたいと狙っていたのです。それから暫くして高性能なサンプリングチップを搭載したYAMAHAの音源チップの使用が決まり、ニンジャウォーリアーズというゲームを作ることを知らされたのです。これらのタイミングが合ったことがあのサウンドを生み出す結果となったのです。私はゲームの企画者と映像を見ながら打ち合わせをしました。その時彼は「目立った音楽にして欲しい」とリクエストしたのです。私は「本当に音楽を目立たせても良いのですか?」と聞き直しました。彼の答えはイエスでした。あの当時はアメリカで奇妙なニンジャ映画のようなものが流行っていたと記憶しています。日本人から見るとまるで忍者ではないと言えるものです。私はその視点を活かそうと考えたのです。純和風な音(三味線ソロ)とバンド形態の音(シンセ・ソロ)を融合させた奇妙なサウンド、それがメインテーマとして完成した「DADDY MULK」なのです。
レインボーアイランドの80年代の欧米でリリースされた移植版
A: 版権問題だと聞いています。あの頃は多くのゲームに関わっていたので細かくは覚えていませんが、 外部の作曲家が意図的に真似をしたのかどうかは、正直なところ分かりません。しかしそのような 事態になってしまったことは、私を含めサウンドセクション全員の不注意だったと思っています。
タイトーのアーケードゲーム「
A: ダライアスをゲームショーに参考出展するために音楽が必要となりましたが、専用の曲を作曲する時間が私にはありませんでした。そこでアイザックIIのCaptain Neoを移植したらどうかと提案し、直ぐに曲のデータ化をすることになりました。データ化を担当したのは当時新人だったMasahiko Takakiで、私はそのディレクションをしたのです。出来上がったCaptain Neoのデータはとても荒いものでしたが、私には出せないワイルドさがあったので、そのままダライアスに採用することに決めたのです。ですから楽曲としてはアイザックIIのものと同じなのです。
よく知られていないサントラですが、ギャラクティックストームは本当に素晴らしいと思います。あのゲームのサントラで何を求めたかをすこし話していただけませんか? また、サントラの中で一番好きな曲は何でしょうか?
A:ギャラクティック・ストームはとても印象に残る仕事の一つでした。私と企画者は物語を作り上げました。壮大で物悲しいストーリーです。私たちはストーリーの展開を思いつくとお互いに電話 (企画者は大阪にいて私は横浜の研究所にいました)で話しながら作業を進めていました。コンプレックスというユング心理学を取り入れるきっかけとなったキーワードをコンセプトにしてやっと作曲の作業に入ったのです。私の頭の中には映像化された物語が常にあり、脳内で上映されるその物語を見つめながら少しずつ作曲していったのです。具体的なイメージが自分の中に完成してしまっている分、メインテーマであるPROT MINDの作曲の作業には神経を使いました。曲の途中の2小節を作るために何日も作り直したこともありました。ですからギャラクティック・ストームのサントラの中ではこのPROT MINDが一番好きです。
ズンタタは80年代と90年代にはよくライブをされましたね。私は動画などで知っています。ZUNTATAのライブについて少し話していただけませんか?
A:ZUNTATAの最初のLiveは1990年です。全てが手作りで全てが初体験でした。衣装制作依頼やシナリオ制作依頼、ライヴ用アレンジ作業など数え上げたら切りがありません。セットリストを決めながらその楽曲に新たな意味付けを行い構成する。各自が分担してなんとか本番に臨むことが出来たのです。その後映像と音楽の同期やストーリー展開を演出として取り入れるなど凝ったものへとライヴは成長していきましたが、私は最も苦労した1990年のファースト・ライヴが印象的です。
色んなゲーム会社で80年代と90年代には社内のバンドがありました(例えば、セガのS.S.T BAND、カプコンのアルフ・ライラ、データイーストのゲーマデリックなど)。しかし、ほとんど全部がなくなりました。その理由は何だと思いますか?
A:他社のバンドがなぜなくなったのか・・私には分かりません。ではZUNTATAはなぜ残っているのかについてお話したいと思います。最も大切にしたものはブランド化することです。その為にはかなり厳しいこともありました。例えばZUNTATAのメンバーが作った作品であっても、それをZUNTATA作品として出すか、単にタイトー作品という形で出すかを決めたのです。そうしてクォリティの基準を満たしているのか、そうでないのかを振り分けました。決して音楽的な完成度が低いからZUNTATA作品ではない、という意味ではなくある種のムードのようなモノを含んでいたかそうでないかということなのです。コンポーザー達にとっては不快だったかもしれませんが、そうした厳しいルールがあったからこそブランド力を付けていくことが出来たのはないかと考えます。
そうしたクリエイティヴなDNAが現在も引き継がれているということが重要な要素なのだと思います。
ダライアス外伝は私の一番好きなゲームサントラです。今でも、初めてVIZIONNERZを聞いた時の感動をはっきりと覚えています。あの曲で何を求めたか話していただけませんか?
A:ダライアス外伝の音楽はユング心理学の「元型論」をヒントにしてコンセプトが作られ、そのコンセプトを軸として作曲された作品です。メインテーマのVISIONNERZでは「目の前に真実はなく、真実は別のところにあるだろう」という歌詞をオペラの部分に歌わせています。音楽自体の中に具体的なコンセプトを入れた、私の作品の中でも珍しい楽曲の一つだと思います。一言で言えば、VISIONNERZは自我が崩壊していく様子を音楽化したもの、と言えるでしょう。
あなたが見ているものが本当は異なる姿をしていたら、1秒前まで当たり前だと思っていた真実の全てが実は真実でなかったら、あなたは大きなショックを受けるに違いありません。そして人々は冷静さを保つことが出来ずに、精神的な崩壊を始めるかもしれません。そんな世界観を表現したものがVISIONNERZでありダライアス外伝の音楽なのです。
あなたが目にしたダライアス外伝という名のゲームは本当に存在したのでしょうか・・。
リスナーとして、ダライアスのそれぞれのサントラは各一個ずつテーマを持っていると感じます。例えば、ダライアスは「未知な場所への危険な旅」、ダライアスIIは「故郷へ帰る」、ダライアス外伝は「まるで夢のようだ」、Gダライアスは「荒れ狂う風」。これらについてどう思われますか? 当たっていますか? それともまったく外れていますか?
A:人によってイメージは様々ですし、表現の方法も異なりますから当たっているか否かは大した問題では無いと思いますよ。それよりも私が嬉しいのは、あなたがそれぞれのゲームについて、それらのテーマ性を感じ取ってくれたという事実です。ただなんとなくカッコイイとか、なんとなく壮大な曲という感想をもらうよりも数百倍嬉しいことです。
でもあなたはこの答えでは不満でしょうからお答えします。あなたが感じたキーワードは全て、私が作り上げたコンセプトの中に含まれています。ですから外れてはいません。
小倉さんが参加したゲーム音楽以外のプロジェクトについてすこし話していただけませんか?
A:非常に少ないですね。ダライアス外伝のオリジナル・イメージ・ドラマを制作した際のサントラ制作くらいでしょうか。ゲーム以外のサントラ作りはとても楽しいものでした。私はキーボードのそばに小型のTVモニターを置いて、そこに映るカットを見ながら音楽の時間調整などを行いました。実は私はスケジュールを勘違いしていてまだMAまでは余裕があると思っていました。(実際には数日後だったのですが)当時のディレクターは私が勘違いしているかもしれないと思ったのでしょうか、電話をかけて来てくれて正しいスケジュールを教えてくれたのです。あの時のことは本当にディレクターに感謝しています。それで私は慌てて作曲を始めてなんとかマスターアップに間に合ったというわけです。
2000年代以来、ZUNTATAの活動が少なくなりました。その理由は何でしょうか?
A:携帯電話の普及に伴うコンテンツ制作にZUNTATAが深く関わり始めたからだと思います。(ゲームを作る能力をメーカー自体が失いつつあったと私は感じています)だから私たちは携帯コンテンツの音関係の仕事に集中したのです。それどころかコンテンツ企画さえコンポーザーが考えるという事態を招いていた時代だったのです。でも私はそれらが良い経験だったと思っています。
どうしてタイトーを出てフリーランスに転身しましたか?
A:上の回答から察してください。あまり多くは語れません。なぜなら私はタイトーを愛し、誇りに思っていますから。
小倉さんの現在取り組んでいるプロジェクトについて話していただけませんか?
A:JAPAN EXPO2015というパリでのイベントで、私の友人であるアーティストのekotumiさんが5000人のお客さんの前で歌う楽曲のアレンジを丁度今しているところです。
iOSのゲームVectrosの音楽を作りましたね。どうでしたか? モバゲーのデザインは普通のアーケードゲーム・家庭用ゲームとは異なりますので、作曲にも別のアプローチを取りましたか?
A:iOSゲームは音楽や効果音を波形で鳴らすシステムだったので、なにも戸惑うことなく作業できました。ただ容量の制約があったため、メインテーマ以外はサンプリング・レートを落とさなければなりませんでしたが、それはアーケード・ゲームの制作でも経験して来たことですから特別な違和感は感じませんでした。コンセプトは珍しくハードなテーマで「天才はエラーである」つまり主に理系関連の科学者や発明家たち、またそれらを取り巻く(利用し利権を得ようとする)人々も含めて批判の対象として考えました。実社会の中で発明されなくてもよかったイノベーションは多々あるでしょう。原子力発電もその一つかもしれません。そういう意味では世界中にエラーは存在しています。メインテーマのSiLent ErRorsでは実際に起きた事件の「音」をまるでシンセサウンドのように使用しています。あるべきでないものを音楽に取り込むことが、私から世界へ向けてのメッセージだと考えてください。『– 世界はエラーに満ちている –』
「みんなでまもって騎士」の曲も作りましたね。本当に小倉さんの作った曲のように聞こえると思います。あのゲームは古代祐三さんが作られましたね。彼と協力するのはどうでしたか?
A:とても嬉しく楽しい試みでした。お互いにプライベートなおつき合いがあるわけではないのに、一緒のプロジェクトに関われるというのは私にとってはとても新鮮な体験だったからです。
私はシューティング・ゲームの作曲が圧倒的多い。そう思いませんか?ですからあんなに可愛い、そして8bitタッチのゲームに音楽をつける作業は私にとって素晴らしい経験であり、そんな機会を与えてくれた古代祐三氏には感謝しています。
現在のゲーム音楽の状況はどう思いますか? 好きなところは? 好きではないところは?
A:残念ながら私はゲーム音楽を聴く事がありません。なぜなら特定のゲームを除いて、ゲームをプレイすること自体が好きではないからです。私はゲームを映像メディアとして捉えています。プレイするものと言うより、視るものなのです。ですから作曲に臨む時も「映像メディア」に対してどんな音楽的アプローチをしようか・・と考えるのです。
ただ私なりに感じていることを言わせてもらえれば、なんだか全てがオーケストラの音で誤摩化されているように感じます。誤解しないでください。決してコンポーザーを責めているわけではないのです。もっと根本的な問題で「ゲーム」を作りたいのか「映画もどき」を作りたいのか、ということなのです。映画には専門のスタッフが必要で彼らは何十年もスキルを積み上げて来ています。
ですからゲームクリエーターがどこかで見たような映画のシーンを、見よう見まねの演出(音楽演出も含めて)でインスタントにゲームに取り入れたところで、それらは単に安っぽく見え、プレーヤーをイライラさせるだけです。そう思いませんか?
今後の予定は何でしょうか? まだ発表していないプロジェクトなどを話していただけませんか?
A:オリジナルコンセプトに基づくシリーズ・アルバム「俯瞰した事実と客観的な虚構 このふたつで僕は世界をつくるMMXV- I」に続く第二弾のアルバム制作やその他やらなければならないことがたくさんあります。しかし残念なが
らまだ具体的な時期はお知らせできません。ただ面白い楽曲であることは間違いありません。
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